2008/12/12

教授 「内容の無さにもほどがある」

「一体,こんなものを何に使うのだろう」――。 Twitterと呼ばれるコミュニケーション・ツールを初めて見たときの,偽らざる感想がそれである。

確かに全部肯定はしませんが、ある程度はそう思いました。
でも今はそういったつながりがなかなか良い感じです;p

Twitterをパソコンから使う場合,ディスプレイ上に表示される「What are you doing?」というプロンプトに対し,ユーザーが1,2行の短い返答をすると,それがユーザー自身のTwitterサイトに反映される。それらは,たとえば「今,起きた。まだ眠い」「これから残業だ」など,ほとんどが平凡な日常の記録である

Twitterの特徴としてやっぱり、メッセみたいな特定の知り合いとリアルタイムという分けでもないですし、ブログのように長い文章を表現する分けでもないです。

このtwitterをギークの嗜みとするなら、携帯世代の女子高生の間ではリアルタイム日記というコミュニティが流行っているそうです。
PCで調べてもちょっと分からなかったので、おそらく携帯サイトなんだと思います。

twitterよりもチャットに近く、知っている人に公開するという使い方だそうです。
ある意味携帯文化なので絵文字が独特の味をかもしているのかもしれません、

Fischer教授自身も,最近のTwitterのようなソーシャル・メディア上で交わされるメッセージには当惑しているという。「内容の無さにもほどがある」といったところだろう。

これは面白い。
自分はこのコミュニケーションを気に入っていますが、それについて意味を求められると困っちゃうかもしれません。

みなさんがtwitterをしているのは…なぜ?

 

via 爆発的広がりを見せるソーシャル・メディア(前編):中身の無いコミュニケーションがなぜ若者に広がっているのか?:ITpro